中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい〉)を備え、袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる[2]。
厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが
失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた[3]。
明治以降は、現在の家屋ほどの天井高の2階をもつ住宅が表通りでも
建てられるようになり、三階建の町屋や看板建築も現れた。
今日町屋が残る多くの都市では、日本人の生活の知恵と空間の理念が凝縮されたようなこの町屋の再評価の動きが顕著で、特に近年では老朽化した町屋を取り壊さずに修復・改装して、自宅や宿泊施設として再利用するケースが増えている。(出典:WIkipedia)